皆様、おはようございます。本日の東京タワー付近は曇りで、夕方からは雨が降るらしく、少し湿度も上がってきて、イライラが募るので、コーヒーブレーク中の緩々です。
さて、昨日ホテルのお話をしましたが、そのお部屋の窓から何気なく外を見ているとアンペルマンがいるじゃあないですか!!しかも交差点全てに!!
しかも、最近のELD式ではなくて、旧東時代のオリジナルアンペルマンでした。アンペルマンを知らない方に少しご紹介をさせていただくと…
旧東ドイツの信号機。1961年10月13日 交通量とともに増えつつあった交通事故を減らすことを任務としていた交通心理学者カール・ペグラウ(Karl Peglau)がこの歩行者用信号を考案しました。
親しみやすいマークほど歩行者への効果が大きいことから、その形状については心理学に基づいて十分に検討がなされたそうです。
この人型の信号マークはすぐにその効果を発揮し、交差点ではもちろん、社会生活にも広く浸透し、交通規則をきちんと理解したという証明に、バッジや特性キーホルダーが与えられました。
幼稚園児もスタンプや塗り絵を通じてアンペルマンに慣れ親しんでいました。
しかしドイツ統一後、西側の役所や政治家、交通技術者は、東の信号の人型マークに難癖をつけ、1994年には
旧西ドイツやEUの人型マークへの転換が始まります。
置き換えの根拠が、信号のマークにではなく、時代遅れの信号機の欠陥にあったにもかかわらず、西側の官僚たちはこれに耳を貸そうともしませんでした。
1996年、インダストリアル・デザイナーのマルクス・ヘックハウゼン(Markus Heckhausen)が撤去されたアンペルマンを引き取り、使い古しの信号のガラスで赤と緑の信号灯を作りました。
このランプへのメディアの反響は予想以上に大きく、この流れで信号機撤去の話が大々的に取り上げられたことから、姿を消しつつあったアンペルマンが市民の意識にのぼり、反対運動が始まりました。
今では写真にもあるように、旧東ドイツの州道や地方道路、そして西側でもごくわずかながら特定の交差点でアンペルメンヒェンが歩行者に合図を送っています。
旧東ドイツのキャラクターのアンペルマンやアートシーン、その他の町の情報などを更新しています。 ドイツサイト 興味のある方はごらんになってください。
今日のこんな名言 「幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だったろう。」byシャルドンヌ
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